ボクが まだ幼少の頃 父は何度か
この言葉を口にしていました。
ボクの父は二十歳で この国から
ドロップアウトし 独り海外へ旅立ち
数十年の放浪の末 母と知り合い
ボクが生まれた と。
当時は今よりも情報は少ないし また
日本人の渡来も少ない時代だった為
何度も危険な目に遭ったそぅです。
そんな父だからこそ 生まれた言葉
「知恵をつけなさい」
まさに この言葉は
生きる残る術なのです。
今日も〜♪
元気に
ドカンをキメたら
洋ラン背負って
チェケラッチョ! イエイ!!
こんばんわ
嶋 大介です(永遠の不良)
ボクが中学生の頃 学校に行けば
こんなのがウロウロしてました。

や

こんなの。
当時 漫画「BE-BOPーHIGHSCHOOL」が
大流行しており 教室のアチコチで
少年が少年に向かって
「吐いたツバ 飲まんとけよ! 少ぉ〜年ッ!」
(この時 少ぉ〜年ッ! と ぉ を伸ばす)
そんな時代でした。
(「シャバ僧」なんてのもありましたね)
そんなボクらの学年を仕切っていたのが
兄貴が暴走族という 不良界では血統書付き
サラブレッドの中田さん。(あだ名 ナカちゃん)
同学年なのに「〜さん付け」だったのは
彼は同じ不良仲間でも 格下から あだ名で
呼ばれると容赦無くボコボコにしてしまう
凶暴な男で 彼のコトを あだ名で呼べるのは
一部の トップクラス不良のみ。
教室の机や椅子を壊すのなんて当たり前。
教師と口論になれば 窓ガラスを叩き割る。
廊下にある 消火器もブチ撒く。
ナメられれば 仲間だろぅが容赦無くブチまわす。
そんな彼は 学校内だけではなく
近隣の中学校にまで その名を轟かす
ビックネームでした。
当時のボクは 山の手育ちの坊ちゃんでしたから
そんな彼とは 無縁の生活で 学校に来ても
暴れるダケなら 来なくてもイイのに・・・
と 思っていました。
そんな ある日
ボクが1人 学習塾から帰宅する際
他校の少年4人組みに囲まれ
リーダーらしき不良に
「オメー ドコ チュー?」
そぅです。
当時の少年達は 喧嘩にしろカツアゲにしろ
まず相手の学校 学年を聞き 喧嘩の場合は
自分から学校名を告げるという
「オメー ドコ チュー?」は
マナーみたいなものでした。
紳士的ですね。とっても。
さて 4人組みに囲まれた
山の手坊ちゃんのボク 喧嘩しても勝てませんし
逃げるコトも出来ない 絶体絶命の大ピンチ!
「オメー ドコ チューだよ? あぁッ!!」
凄むリーダー。
次の瞬間 ボクの口から出たセリフが
「オメーラ オレに こんなコトしてっと
ナカちゃんが 黙ってねぇゾ!」
一瞬 凍りつく4人組み
そして リーダー格が
「オ・・・オメー
中田さん 知ってるんですか?」
「このコトは 黙ってて下さいね。
喋んなよッ!」
この時の ヘンな敬語は今でも脳裏に
焼き付いており 以後 このテのトラブルには
必ずビックネームを出しては切り抜けるという
まさに「虎の威を借りる狐」の如く。
時は流れ 成人し就職した現在も
面倒な仕事が廻って来ると 後輩を捕まえては
「社長が やっとけ」
って 言ってたよ。と、
仕事を丸投げしては 自分は
さっさと帰宅するという日々。
「知恵をつけなさい」
嗚呼・・・
父さん
父さんが言いたかったコトは
このコトだったんですね。。。。<結構 実話>
追記:このブログを ィよしけんクンへ捧げます。
そぅ言えば居たね 捧ティチャー(笑
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えぇ〜・・・
かなり論外なくらい下位です。
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コメント一覧
我が中学にもビックネームがいましたよ
この前話しましたね
今じゃ全国チェーンの加盟店の店長候補ですよ
やぁ〜
「特攻教室」・・・ぷッ(笑
あったね そんなの。
タイトル コレで漫画描けそぅだね(笑
しかし
あの頃の方々 あのまんまなら
犯罪者だなぁ〜 きっと。
桶さんへ
この前の話と
生きてりゃ色々あるさ が ヒントで
書けたブログでした。
店長候補
その道でも 極めれば・・・・
「極める道」と書いて・・・いやはや・・・なんとも。
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って感じ?
ミスターササゲは、俺らが高1の時の担任のこと好きだったらしいね
いや〜しかしパンチの効いた方々でしたね
特攻教室なんて珍な教室作ったり
先生の車を珍車にしちゃったり
でも一番記憶に残ってるのが
卒業式の茶番でしょうかネ
その後は自称走り屋の珍走団つくってたっけ